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今、宮崎駿が東日本大震災、そしてジブリ最新作を語る
「コクリコ坂から」主題歌発表記者会見

2011年3月28日

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手嶌 葵さんによる主題歌「さよならの夏~コクリコ坂から~」が初披露されました!

<左から、宮崎吾朗監督、武部聡志さん、坂田晃一さん、手嶌 葵さん、万里村ゆき子さん、宮崎駿さん>

宮崎駿さんが30年来温め続けていた企画を、宮崎吾朗監督が「ゲド戦記」以来、5年ぶりに監督するスタジオジブリ待望の最新作「コクリコ坂から」。本作の主題歌発表記者会見が、3月28日、東京・東小金井のスタジオジブリにて行われ、宮崎駿さん、宮崎吾朗監督、手嶌 葵さん、万里村ゆき子さん、坂田晃一さん、武部聡志さんが出席しました。

この日の記者会見は、3月11日に起きた東日本大震災を受け、節電のためマイク、照明を一切使わずに実施。宮崎吾朗監督から地震当日の様子や、計画停電のため遅れている製作状況が報告されたほか、登壇者の皆さんからこの未曾有の事態によって感じたこと、考えさせられたことなどが語られました。そして、手嶌 葵さんによる主題歌「さよならの夏~コクリコ坂から~」が披露されると、宮崎駿さんが静かに涙を流しました。その模様をレポートいたします。

記者会見

宮崎駿さん(企画・脚本)

こういう発表会をやるのがいいのかどうかという問題があったのですが、あえてやろうと思いました。今この時も、埋葬もできないまま瓦礫に埋もれているたくさんの人を抱えているこの国で、原子力発電所の事故で国土の一部を失いつつある国で、私たちはアニメーションを作っていくという自覚を持っています。自分たちは、とにかく停電になっても仕事を続けようと思いました。郵便配達の人は郵便を配っているし、どんなに渋滞が起こってもバスの運転手はバスを放棄しないで待っていますから、我々も仕事を続けようと。コンピューター関係は、電気が落ちると混乱が起こるので夜勤体制にしましたが、絵を描く方は停電になっても窓際で描けるから、鉛筆と筆のセクションはとにかく仕事を続けるという体制でやってきました。

また、この歴史的な事件を挟んで、自分たちの作ろうとしている映画が、時代の変化に耐えられるかどうかというのが、僕らの最大の関心だったんです。つまり、私は企画と脚本しかやってませんから、映画のできあがりについてはよく分かりません。今この企画を自分たちが作っていたのは、間違いではなかったと思っています。映画の企画そのものについて説明しますと、これは30年前に僕がたまたま山小屋にいた時に出会った、当時はまだ小学生だった姪たちが残していった少女マンガから思いついた企画です。それからもう30年経ってます。少女マンガが映画になるのかという議論を友人たちとして、その時僕は「コクリコ坂から」を映画にしたいと思っていろいろ考えましたが、(原作の中に)学園紛争があり、30年前は一番学園紛争が古めかしいものだったので、企画としては断念しました。

しかし、その後もずっと心の中に引っかかって、折りに触れていろいろ考えていたものが、ある時「さよならの夏」という歌がたまたま森山良子さんのリサイタルCDの中に入っていまして、ずいぶん前に日本テレビのドラマの主題歌だったそうなんですが、この歌を聴いて「ああ、主題歌までできてしまった」と思ってしまったんです。それで、ここ2、3年、企画をやらなければならなくなって考えてみますと、今まで自分たちがやってきたファンタジーをやる時期ではないと。何を作るか模索してきて、その模索の一つが、40年前に読んでひっかかっていた「借りぐらしのアリエッティ」であり、今回は30年前から温めてきた「コクリコ坂から」を映画にすることにしました。原作と違いまして、自分がアニメーターになった東京オリンピックの前の1963年を舞台にしていますが、その頃の若者たちはまさか自分たちがエアコンのある家で暮らしたり、エアコンのある職場で働いたり、自動車を持つようになるとは夢にも思わなかった。そういうことを願っていた人もいますけれども、少なくとも僕らは四畳半の下宿でいいんだと思っていました。僕も、無理すれば買えたかもしれないけれど、ラジオもテレビもない下宿にいた記憶があります。

その時に、自分たちがどう生きようと夢見ていたかということを、それはどう生きられたかとは別のことですが、どう生きようと願っていたかということを形にしたのが今回の映画です。私のシナリオが遅れたために製作はひどいことになっています。2カ月早く僕のシナリオが終わるはずだったんですが、これがなかなか難産でスタッフ全体に迷惑をかけてしまいました。今製作している最中です。旗を毎朝あげている少女と、海からやってくる少年の出会いです。僕らが今の時代に応えるために精一杯作ろうと思ってやってきました。主題歌は森山良子さんがもう少し若ければ、森山良子さんにお願いするところなんですが、(主人公の海ちゃんとの年齢が)合わないということで新しい歌い手の方に歌ってもらうことになりました。この歌を全然中身の違う映画にもう一回使うことを許していただけて、本当にありがたく思っています。
万里村ゆき子さん(「さよならの夏~コクリコ坂から~」作詞)

今度のお話をいただいた時に宮崎さんの脚本を読んだのですが、びっくりしました。といいますのは、私は東京育ちなんですけれども、横浜がとても好きで、特に外国から来た船を見るのがとても好きで、少女時代からよく日曜日に山下公園や大桟橋などに見に行っていました。それから何十年も経って、ジブリからいただいたお話が横浜のお話だったということで、昔の横浜少女がまた少女に戻ったみたいでとても嬉しくて、わくわくしています。

ただ、あの時はただ幸せで、生きている間にこんな大震災が起こるなんて夢にも思っておりませんでした。歳をとってからそういうことに遭うというのはとても悲しいことですけれども、若い時にこの震災に遭っていたらどうだっただろうかと考えると、たぶんこの歌は書けなかっただろうとも考えました。先ほど予告編を観たのですが、とても胸がいっぱいになりました。震災で被害を受けられた方、そして受けなかった私たちに、どういう風に伝わるかは分からないですが、とても穏やかな歌ですので、できれば皆様に聴いていただけたら幸せです。作曲の坂田さんとはテレビドラマの主題歌などで何度もご一緒させていただきました。いつも最初に坂田さんのメロディーがあって、後から私の詞をはめているんですね。坂田さんのメロディーは、2、3回聴きますと、あるいは譜面で読みますと、すぐに絵が見えてくるんです。私の中で出てきたイメージを字に変えて、メロディー譜に写していく。先ほども、鈴木プロデューサーに「苦労はした方がいいよ」と言われましたが、苦労しないで書かせていただきました。どうぞお聴きください。よろしくお願いいたします。
坂田晃一さん(「さよならの夏~コクリコ坂から~」作曲)

私と万里村さんがこの歌を作ったのは34年前ですから、その当時は生まれていなかった方もここにはたくさんいらっしゃると思います。そういった時代に作った歌が、ジブリさんの映画、それも注目される作品の主題歌として取り上げていただいたということは光栄ですし、とても嬉しく思っています。感謝もしています。音楽は、やや切なさと嬉しさと、その間を行き交うようなメロディーのニュアンスなんですけれども、そこに万里村さんが書いたイメージをもっと膨らませるような非常に素晴らしい詞がついています。今回新たにワンコーラス書いていただきましたが、その詞も素晴らしいです。

この映画の主題歌として、この歌がきちんと役割を果たすことを切に願っている次第です。万里村さんはどうか分かりませんが、歌というものは、作曲をして世の中に出てしまいますと、独立した子供が音信不通になってしまったような、自分の曲でありながらも自分の曲ではないような感じがします。特にこの曲はそうだったんですが、今回このように取り上げていただいて、また自分の手元に戻ってきたという感じがしました。しかしながら、手嶌 葵さんの素晴らしい歌と、武部さんの卓越した編曲によって、違う装いをもって聴いていただけるということはとても嬉しいことです。大震災の後の大変な時期ではありますけれども、この歌は、曲も詞もこういった時代でもなんとか皆様に受け入れていただける歌であると私は思っています。主題歌として良い結果が得られたらと考えています。
武部聡志さん(「さよならの夏~コクリコ坂から~」編曲、音楽)

この度、主題歌の編曲と音楽をやらせていただくことになりました。私はずっとポップス畑といいますか、わりと歌ものと呼ばれる音楽の畑をずっと歩いてきたものですから、映画音楽の経験は数少なく、アニメーション映画に関しては今回が初めてです。その初めての作品が、憧れのジブリ作品であることを本当に光栄に思っております。坂田先生が仰っられたように、主題歌が作られたのは34年前で、当時僕は小学生でした。東京オリンピックの前の年、東京オリンピックの年をよく覚えています。あの頃は本当に物はなかったかもしれませんけれど、ものすごく夢を持っていました。その夢が今の日本を作ってきたのだと思います。僕らは音楽を通じて、その夢を与えたいなと思います。34年前の曲をこうして今聴いても、本当に色褪せないです。この間、手嶌さんとレコーディングした時もキラキラ輝いていたんですね。そうやって良い曲は歌い継がれていくべきものなんだなと痛感しました。大震災の後の大変な時期ですけど、映画や音楽の力で少しでも皆さんの力になれたらいいなと思います。皆さんが少しでも優しい気持ちになってくださることを本当に心から願っております。
宮崎吾朗監督

自分たちがこうして映画を作っていられるということが、自分たちを支えてくれているんだなと、震災から約2週間経って思っています。ちょうど震災の前日が、この主題歌のレコーディングの日でした。その日に主題歌を聴きながら感じていたことは、単に若い女性が好きな男性のことを想っている歌ではなくて、もう少し広い意味を持っているんじゃないかなと。それはどういうことかというと、つまり鎮魂歌のように思えたんですね。レコーディング直後のこの大震災で、偶然としか言いようがないんですけれども、この歌の持っている力、意味が、僕にはものすごく重たく感じられました。今僕たちが作っている映画が僕たちを支えてくれているように、震災で傷ついた人たちの支えになってくれればなと思っています。
手嶌 葵さん(「さよならの夏~コクリコ坂から~」担当)

「ゲド戦記」以来、また主題歌を歌わせていただけることを本当に嬉しく思っています。私にとって素敵なことが2回あるというのは、本当に幸せなことです。今回被災に遭われた方々にどう言葉をかけたらいいのか、まだ自分でもよく分かってはいないのですが、一緒に手を握り合って前に進んでいけたらいいなと思います。

記者会見


Q:製作が遅れているとのことですが、それは震災のことを盛り込むためですか?

宮崎駿さん:
僕たちの製作は非常に時間がかかりますから、本来なら昨年の5月に作画インをするのが理想的だったんです。それが私のシナリオが遅れた結果、作画に取りかかるのが遅れたので、震災とこの内容はまったく関係ありません。つまり、今年になってバタバタしたり、2週間前の震災で内容を変更するということは一切ありません。本来であれば、昨年の1月ぐらいにシナリオがあがって、それを監督に渡して、いろいろな準備やら絵コンテ作業に入って、「アリエッティ」が終わった時にすぐに作画できるようにするというのが、私が当初に立てたプランだったんですが、自分のせいでズルズル遅れたんです。

Q:「上を向いて歩こう。」というキャッチコピーがついてますが、あれは震災後に考えたものですか?

宮崎駿さん:
「上を向いて歩こう。」というのは、(映画の舞台と同じ世代の)鈴木プロデューサーが考えたことで、僕はあんまり好きじゃないです(会場笑)。

宮崎吾朗監督:
キャッチコピーを考えたのは、昨年の12月です。ですから、こんなことがあるとはまったく予期せず、映画の中に坂本九さんの歌が出てくるものですから、当初は「見上げてごらん、夜空の星を。」だったんです。しかし、鈴木プロデューサーの「ヒットするのはこちらだ」という言葉と、「僕はこの曲が好きだからこれを使え」という意見がありまして、12月に「上を向いて歩こう。」というキャッチコピーになりました。

Q:「震災が起きて、この映画が耐えられるか心配だった」との一方で、「この映画は間違っていなかった」とも仰っていましたが、そう思えた部分はどんなところでしょうか?

宮崎駿さん:
「流行っているものをやらない」というのがジブリの誇りでした。しかし、あまりにも自分たちを取り巻くもの、そして自分たちの生活そのものも淀んできて、「不安だけが広がる時代に一体何を作るのか?」ということを自分たちは問われているのだと思います。そういう意味で、ヒロインの海という少女の願いが、そして少年の雄々しく生きようという気持ちは、これからの時代に絶対必要なものだと思います。残念なことに、私たちの文明はこの試練に耐えられない。だから、これからどういう形の文明を作っていくか、模索を始めなければならないと思います。誰のせいだとか、あいつのせいだとか言う前に、敬虔な気持ちでその事態に向き合わなければならないと思います。先ほども申しましたように、今何十万もの人間が寒さに震え、飢えに震えている。それから、放射能の前線に立っているレスキューや自衛隊員や職員のことを思うと、その犠牲に対して、感謝しており、誇らしく思います。…今は文明論を軽々しく語る時ではない。敬虔な、謙虚な気持ちでいなければならない時だと思いますから、この映画がこの事態に、多くの人たちの支えになってくれたら嬉しいなと思います。

Q:今回の震災が、今後の作品作りに影響を与えると思いますか?

宮崎駿さん:
実は次の作品の準備に入っていまして、まだ発表の段階にはありませんが、その作品をまったく変更する必要がないと胸を張ってやれると思っています。この歳ですから、思ったように手は動きませんが、その企画を推し進めていこうと思います。ただ、物質的な条件やいろいろな条件はこれから変化するでしょうから、前と同じような感じで映画を作り続けることができるかどうか、まだ私たちには分からないですが、それでも前に進んでいこうと思っています。

宮崎吾朗監督:
今やっているものを作り上げるということが目標ですから、その後のことはなかなか考えられませんけれども、たぶん変わることはないと思います。むしろ、確固たるものになった。正直、自分も1年前、2年前は弛緩した状態だったんじゃないかと思います。こういう時代だからこそ、何かを作らなければという気持ちはより強くなりました。将来的に作り続けることができるのであれば、そのまま作り続けることができるだろうと思っています。

Q:具体的に被災地に向けて支援を行ったり、メッセージを発信する予定はありますか?

宮崎駿さん:
具体的にもうすでにプロデューサーを通して、できる限りのことはやっています。いろいろな計画もありますが、それはプロデューサーの方から報告する機会があった際にすればいいと思っています。一番必要なところに一番必要なものを届けるしかありませんから、今感傷的にただお金を出せばいいだけではないと思って、堅実な方法をとろうと思っています。もうすでに始めています。

Q:改めてこの作品に込めた想いと、この主題歌を選ばれたメッセージをお聞かせください。

宮崎駿さん:
あんまりそういう理屈を喋ってもしょうがないと思っているんです。「さよならの夏」という歌は、人を恋う歌です。人を恋することを恋する、と言った方がいいかもしれません。繰り返し、繰り返し、人は人を愛し続けていくという、繰り返しの歌だと思っています。その初々しい気持ちがとっても大切なんだと思いました。少年がいて、少女がいて、そこに恋があろうがなかろうが、とにかく前を向いて進もう…上を向いて進むと蹴つまずきそうだから、僕は前を向いて進んでほしいんですが(笑)、でも同じような意味をプロデューサーも考えているんだと思います。そういう意味で、この歌は大好きな歌なので、どうして好きなのかって説明する必要はあんまりないと思います。聴いていただければ…(手嶌さんに)歌っていただければ、分かると思います。

宮崎吾朗監督:
この作品の構想案を聞いた時に、「主題歌はこの歌がいい」と聴かされました。その時に、僕がまだよく分かってなかったせいだと思いますけれども、「30数年前の曲を引っ張り出して、そこに何の意味があるのだろう?」と思いました。ただそれを繰り返し聴き、葵さんの歌声で聴いたことによって、人を想う気持ちに今も昔もないんだと思うようになりました。人を恋う気持ちや、大事な人を想う気持ちが歌われている以上、そこに古さや新しさは関係ない。それは葵ちゃんの歌声を聴いていただければ分かることだと思います。ですから今これ以上、この作品にふさわしい歌はないと思っています。

Q:「今はファンタジーを作るべき時ではない」と仰っていましたが、どういった経緯でそう思うようになったのでしょうか?

宮崎駿さん:
ファンタジーがあまりにもたくさん作られてゲーム化してしまったからですね。そのゲームの中に我々がまたゲームを作る必要はないということだと思います。ゲームにはいろいろなゲームがあるんでしょうけれども、文章で書かれたゲームもいっぱいある訳ですね。「ホビットの冒険」というトールキンの名作があるんですが、それはいろいろなところに引っぱり出された結果、原作が食い尽くされてしまいました。でも、面白いことに「西遊記」は食い尽くされているはずなのに、食い尽くされない力を持っている。不思議だなと思います。が、「西遊記」をやる訳にはいきませんので、何を作ろうかということでしんみりしてきた訳です。

Q:ファンタジーものが出過ぎているというのが主な理由で、作り手としてより人間に寄っていこうと思ったということはないんですか?

宮崎駿さん:
もちろん、そうです。人間を描かなければならない。ただし、アニメーションで等身大の人間を描くというのは、非常に不利な戦場でして、でもそれを覚悟しなければならない時期があると思っています。それを越えた次に違う展開があるだろうと今は思っていますが、私自身がこういう歳なので、そのさらに次まで考えるのは無理なんですが、今私が進めている準備というのは、まさに等身大の人間が出てくる映画です。

Q:吾朗監督は地震当日はどこにいて、その後何をしたのかをお聞かせください。

宮崎吾朗監督:
地震の瞬間はスタジオの3階で鈴木プロデューサーと宣伝会議をしているところでした。揺れが始まった時は、鈴木さんがまた貧乏揺すりをしているんだと思ったんですが、揺れが収まらず、これは大変なことだと思いました。それから僕が最初にしたことは、すぐ隣に保育園があるんですが、その保育園に預けている自分の子供を見に行くことでした。その瞬間に思ったのは、やっぱり家族のことでした。それはスタッフも同じだったと思います。その次に、スタッフをどうするのかということで、その日は早めに三々五々帰ったと思います。それ以降は、「出社せずに自宅待機した方がいい」という話もあれば、「家にいても不安なだけだから仕事をしたい」というスタッフもいました。結果的には、アニメーター、美術の人間は、少なくとも電気がなくとも仕事ができるし、家にいても不安なだけだから会社で仕事をしようということになりました。これは会社から呼びかけたということだけではなくて、スタッフの中にもそういう気持ちが大きかったということです。一番不安なこととして話が出たのは、「自分たちがどうなるんだろう?」ということです。被災地に家族がいるスタッフが何人かいましたが、自分たちの作品をこれから夏に向けて作っていけるのかということだったと思います。「僕らが今できるのは、映画を作り続けることだけ」というのは、大きな意味では一致していたんじゃないかと思います。

Q:「崖の上のポニョ」では水没した町を描き、被災した人々を住民たちが大漁旗を掲げて救いにくるシーンがあり、以前に「『そういう時でも、みんな明るく元気さを失わずに頑張ってほしい』という希望をそこに込めた」と仰っていましたが、こういう状況下にある皆さんに対して、あのシーンを作った人間としてどう思われますか?

宮崎駿さん:
あの映画の通りだと僕は思っています。私たちの列島は、地震と火山と津波と台風に襲われてきた島です。それでもこの島は、非常に自然に恵まれた島だと思います。ですから、多くの困難や苦しみはあっても、もう一度人が住むために美しい島にしていく努力をする価値がある土地だと思っています。先ほども言いましたが、埋葬されない人たちをいっぱい抱えながら、あまり立派なことは言いたくありませんが、自然現象の中でこの国を作ってきた訳ですから、そのこと自体で僕らは絶望したりする必要はない。むしろ、プロメテウスの火をどうやってコントロールできるのか、本当に国土の一部を喪失する事態に今なりつつありますから、その事態に対して、どういう風に自分たちが対処できるかだと思います。

私はこの歳ですから、一歩も退かないと決めていますが、若いスタッフは20代です。年齢の壁を超えることはできませんが、僕はここにいようと思っています。風評被害とか、乳幼児の水については本当に配慮しなければならないのに、僕と同じような歳の人たちが水を買いに並ぶなんて、もっての他だと思っています。その人民の愚かさも、マスコミには糾弾してほしいと思っています。僕が普段通っているパン屋のおやじが、地震の翌日からいつもより早く起きてパンを焼いてくれて、棚を空っぽにするようなことをしなかったので、パンを買うことができました。しかし、スーパーに行かざるを得ない共稼ぎの人たちは、食パンが買えないとか、いろいろな話がありました。そのパン屋のおやじや、焼きそば屋、差し入れのためにお団子を買う店も、そのまま店を続けていてくれました。いつも差し入れを買うお菓子屋も、作り続けてくれました。

だから僕らも映画を作り続けようと思います。今朝会ったパン屋のおやじは「まだ元気だ」と言っていましたけど、そろそろくたびれてきて、僕もこう毎日買うのはしんどいなと思っているんですけど、今日もまた買ってきました。パンもだんだん売れ行きが落ち着いてきたから、平静に戻っていくでしょう。いま僕は文明論という感じで高所からいろいろなことは語りたくない。死者を悼むところにいようと思います。

■ここで、武部さんのピアノの伴奏で、手嶌 葵さんが主題歌「さよならの夏~コクリコ坂から~」を披露。その囁くような透明な歌声に、宮崎駿さんが涙を流し、会場全体が聴き入りました。

【囲み取材】


鈴木敏夫プロデューサー:
Q:「上を向いて歩こう。」というコピーを考えた経緯を教えていただけますか?

さっき吾朗くんが説明してますけど、時代を表す歌として、(坂本)九ちゃんの「見上げてごらん夜の星を」を彼は最初に考えていたんです。しかし僕、実は個人的に坂本九ちゃんの大ファンだったものですから、九ちゃんといったらやっぱり「上を向いて歩こう」だろうと。それが本編の中でテレビから流れてくるんですけど、それだけじゃなくてテレビが終わった後も本編に流れるというのを考えまして、やってみたらそれがすごく良かったんですよ。その時は映画の中で使うということだけだったんですが、ポスターを作る段階になって、あれはご存知のように宮崎駿が描いてくれたんですけど、(海ちゃんが)ちょっと上を向いてるじゃないですか。あれを見ていて、もしかしたら映画のコピーも「上を向いて歩こう」がいいんじゃないかと。それで、この歌を知らない人にもこの「上を向いて歩こう」というのは、今の気分にピッタリなのかなと思ったんですよね。

僕なんかもそうですけど、今はすぐに携帯のメールを見たりして、みんな下を向いてるじゃないですか。そうするとロクなことがないから、「今は前を進むにはしんどい時代、だけど後ずさりはしたくない、それなら上を見れば何かいいことがあるんじゃないか?」と、ふと思ってみたんですよね。それでみんなに提案してみたら、みんなが「いい」と言ってくれたから、じゃあこれでいこうと。という、非常に個人的な理由からでした。でもまさか、宮崎駿が嫌いだとは知らなかったですね(笑)。ビックリした。だいたい僕の好きなものを宮崎駿は「嫌いだ」と言うんですよね。僕が「好きだ」と言うからいけないんですね。僕が「嫌いだ」と言えばいいのか(笑)。

Q:計画停電の影響で夜に作業をしたりしているということですが、製作状況はどうですか?

鈴木プロデューサー:
今回の地震は、被災地の方々のことを考えれば大したことないんでしょうけど、ご承知のように東京でも計画停電が行われるようになって、当初僕らが考えたのはキャラクターや背景を描くのは手作業でできるということです。ところが現状、アニメーション映画というのは、描いた絵をコンピューターに取り込んで、モニタ上で作業することがある訳ですよ。どうしてもコンピューターのお世話にならないといけない。つまり、電気の問題が起きてくる訳です。これは随分討議を重ねたんですが、計画停電は昼間に行われますから、ある日実験してみたら、まず電気を止めるのに1時間かかったんです。そして、復旧するのに2時間かかるんです。すると、3時間の停電でも、都合6時間、しかもリスクを伴うんですよ。作った映像をサーバーの中に入れておくんですが、電気を消し、復旧させる過程で吹っ飛ぶ可能性がある訳です。これは本当に悩みに悩んだんですが、僕らが決めたこととしては、コンピューター部門の人には本当に申し訳ないんですけれども、昼間にそういう不安定な状況で仕事するよりも、夜にやってもらおうと。

ジブリは通常、朝の10時からということになってるんですが、コンピューター関係の人は夜8時出社ということをやっています。ただ、理由は分からないんですが、今のところジブリにおいては計画停電が起きていないんですよ。だから、昼間に戻そうかという話もあり、そんなことをやっている状況です。全体の進行としては、いつもだったら予告編も12月に出すんですが、遅れています。それは宮崎駿も言ってましたが、シナリオが遅れた。そして、絵コンテもかなり遅れまして、これはなんとかしなきゃいけなかったんですけれども、そのしわ寄せがきているところで、この計画停電の問題が起きているので、非常に厳しい局面に立たされています。とにかく人の投入。宮崎駿が「自分の準備もある」なんて話してましたけど、あれはまだ準備の段階なんで、主要なスタッフを分けていたんですね。それで、次の作品に関わろうとしていた人たちも急遽「コクリコ坂から」の方に投入してやっています。宮崎駿の次の作品はまだ随分先になりますから、そんな先のこと言ってられないんですよ(笑)。とにかく僕らは、この映画を公開日にきちんと公開するというが、一番できることだと考えたのです。7月16日に間に合うようにやることが、僕らの責務なのかなと思っています。

Q:トヨタの西ジブリを活用するという意見はなかったんですか?

鈴木プロデューサー:
みんなもう戻ってきていて、こちらで仕事をしています。

Q:現在の進捗状況はどうですか?

鈴木プロデューサー:
アニメーション部分の絵は9割方できてきているんですよ。背景は少し遅れています。コンピューターの関係で言うと、色を塗って、撮影するというのがありますけど、全体では50%ですかね。本当はこの段階で70%は欲しいところなんですけどね。それをどうやって詰めるか…なんとかやります。お客さんのニーズに応えたいと思っています。

Q:震災の支援策はどんなことを考えているんですか?

鈴木プロデューサー:
震災に関してジブリがどうしていくのかという問題に対しては、現在ある団体の協力も借りて様々なことをやっているんですが、それを発表するのか、しないのかという問題があるような気がするんですよ。いろいろな方が震災に関しての支援を非常に具体的にお話されていますが、あえてそれを言うということは何のなのか、社内でいろいろ話し合いました。それで公表はやめました。ただ、精神的だけではなくて、物理的にもいろいろ支援をしようということで、現在やっております。

Q:具体的にどんなことかをお聞かせください。

鈴木プロデューサー:
それを言うと、喋ることになっちゃうから(笑)。いろいろありますけれど、申し訳ないけど、それを言うとそのことが一人歩きしちゃうでしょ。つらいんですよね。お金だけではなく、人の支援もしようかなとか、今いろいろなことを考えてやっている最中です。僕はラジオ放送をやっているんですが、国際協力NGO ピースウィンズ・ジャパンの大西くんという人がいまして、ちょうど昨日、彼にゲストで出てもらったんですよ。なにしろ大西くんという人は地震の翌日には気仙沼に現れた人なので、いろいろなことを把握しているんです。彼の意見を聞きながらやろうと思っています。

Q:スタッフのご家族で、被災した方がいると先ほどの話にもありましたが…。

鈴木プロデューサー:
たしかに東北出身者もいるんですが、ジブリには現在、美術家も含めて約300名のスタッフがいるんです。すぐにどういう人がいるか、家族はどうなってるのかということを調べました。屋根瓦が飛んでるとかいろいろあったんですけど、今のところ大きな被害はなかったので、それなりのことをやっています。

Q:映画ができあがった後に、いつもより多く各地を回る予定ですか?

鈴木プロデューサー:
これは東宝さんとの相談ですが、できあがった映画を持っていくということも検討中です。映画のキャンペーンで、北は北海道から、南は沖縄まで、グルグル回ろうかなと思っていたので、ちょうど今そのことについても相談をしている段階ですね。

Q:広告の自粛ムードでプロモーションが非常に難しい状況にありますが、計画に変更はありますか?

鈴木プロデューサー:
それはないですね。今日の主題歌発表は、この歌を予告編などで出していくので、歌の発表だけはやらなきゃいけないと思っていたんですね。ただ映画の宣伝というのは、あまり早くからいろいろやっても仕方ないと思っているんですよ。これは宣伝プロデューサーと意見が分かれるところで、もめてるんですけどね(笑)。僕は映画の公開2週間前ぐらいでいいじゃないかと思ってるんですけどね。だから変な話ですが、この自粛ムードで過剰にやらないというのも、いいんじゃないかなと思ってるんですよ。ただ地震に関しては、夏になればなんとかなるんじゃないかというのは甘いと思っています。今被害に遭ったり、自粛だったりで、映画を公開できなかったりしています。公開していても8スクリーン中4スクリーンでしかやっていなかったり、夜6時までで打ち切ったり、いろいろなことが起こってます。夏の計画停電はその他にも影響を与えると思っています。その中でどうやっていくのかが非常に重要な問題だと思っています。

Q:繰り返しになりますが、地震の影響で製作が遅れたということで間違いないでしょうか?

鈴木プロデューサー:
現実問題として夜の作業は進まないんですよ。だから、その影響は多大です。多大ですけれども、なんとか頑張ろうと。物理的に人を増やすとか、ご飯を食べるところにもコンピューターを新たに設置したりして、挽回すべくやっています。

Q:これも確認になりますが、震災を受けて作品の内容に一部変更が加えられたりはしていないんですね?

鈴木プロデューサー:
それは一切ありません。そんなことできないんですよ。今そんなことやっていたら、公開できませんから。宮崎も言ってましたけど、絵を描き始めたのは昨年の1月からなんですよ。1年以上前の話ですから、それを今さらいじるとか、そういったことは絶対にできないです。

Q:手嶌 葵さんが主題歌を歌うということで、前回の「ゲド戦記」のように、また声でも関わったりするのでしょうか? それはまだ言えないでしょうか?

鈴木プロデューサー:
(言えるか言えないか)そんなこと言ったら、バレちゃうじゃない(笑)。葵ちゃんから立候補がありました。立候補があったので、ある種のゲストキャラを作って出てもらおうかなと。どんなキャラクターかは、見てのお楽しみで。結構いい役なんですよ(笑)。

Q:被災地の方々へのメッセージをいただけますか?

鈴木プロデューサー:
言葉っていうのは、こういう時は難しいですよね。…突然、ジブリのいろいろなものが現れるかもしれません。僕らとしては、陰日向になってやれることは全部やろうと思っています。

Q:製作費は? どのぐらいの興行収入なら成功だと考えますか?

鈴木プロデューサー:
そんなことは一切考えない。問題になってるんですよ、「製作費を少し考えろ」と。だいたい予算を背負って作ったことないんですよ。製作会社の方からはいろいろ批判もいただいていますが、僕の頭の中でやってますので。たまに間違えるんですけど(笑)。…そうですね、そういう質問があったのでお答えします。とんとんを目指します。かかったお金をなんとか回収はしたいですね。でも、余分に儲けてもしょうがない。とんとんでありさえすれば、次の作品が作れるんです。これが僕の大きなテーマです。ジブリはいろいろなことをやっているように思うかもしれませんけれど、僕としては“映画を作る”、それを邪魔するものはやらないつもりなんです。儲けたいなら他の商売やりますよ。

Q:支援策の中で、子供たちに特化したものを考えていたりしませんか?

鈴木プロデューサー:
それも考えているけど、発表はしません。

「コクリコ坂から」公式サイト